うつ、に家族を持って行かれて。
こんなネットのページ、誰が読むか知りませんが、今の気持ちを書くだけ書く。
祖母が先月、亡くなりました。
一人暮らしを経て、家や家財道具一式の整理と処分を経て、介護付き老人ホームへ引っ越し、今年で3年…。
もともと、気管支を患っていた祖母は最後の入院からは、あっという間でした。
ご飯は?と看護師さんに尋ねるし、また会いにおいでね、来てくれてありがとうと言ったのに…
思えば、サ〜っと風が吹いたように逝ってしまいました。
その祖母の四十九日が開ける前にして、今度は家族が本人の強い希望で入院。
祖母の逝去は確かに、一押ししてしまったと思う。しんどかったと思うよ。
去年から一気に痩せた。
体調の波の幅が大きい人だったし、繊細過ぎてヒステリーなところもあった。
昔と比べると、胃腸の調子が悪くなって食が細くなったのは事実、けど検査したら胃腸自体に何も問題は何もなかった。
今年に入って身体の体調面を考慮して、さらに合う・合わない食品が分かってきたり…気を遣ってきたし、薬の治療もスタートしてた。
けど、本人の強い希望もあって、入院することにした。本人の言葉で言うと、不安が強過ぎるし、薬があってない気がする、やる気がない、何もする気がない…
胃腸が元気なのは診察の結果で分かったけど、どうしても食欲が涌かないし、元気な気持ちが出ない…と。
入院したらしたで…不安で潰されそう、死にたくなる、死にたかったけど今日はできなかった。
家で会話をしてた時ですら、不安だ…を、聞くの辛かったし、思えば入院したら出てくる言葉はどんどんネガティヴに傾いてった。
お見舞いで笑顔で振る舞うけど…死にたい、なんて言われた時はもうこっちは泣きたかったし、顔を作ることで精一杯だった。
でも、家族でマッサージしたし、家と病院との間の荷物を行き来したし…
よく身体をさすったなー、しっとりしたきれいな手をしてたなー。
とにかく、笑顔で話聞くようにはしてた。
けど、あっという間だった。
足りなかったのかなー。
ザッと全てを吹き飛ばす風が吹いたように…。
もちろん、退院が前提の入院。
けど、戻ってこなかった。
持ち主がいない部屋、手を触れられなくなった荷物たち…何気ない会話が生々しく蘇る物々、味の感想教えてねーと言われた食品。
家にある植木、電車の行き先、スーパーのアナウンス「ご家族そろって…、家族みんなで…」
他にも、ふと心から湧き上がる記憶たち。
なんなら、家路ですら辛い。
これが、良かったか本当に分からない。
仕事の都合で、お見舞いに行っても医者と会えなかったから、接し方や会話のやり方、うつ病患者と家族とのコミュニケーションの仕方…そう言ったやり方は出来てはいなかった。
だから、気付かずに追い込んでたと思う。
そこは、責任感じる。ごめんなさい。
(先生に)会えないから、(接し方を)聞かない。
これって仕事じゃ、ありえないよね。
でもさ、そうは言っても死ぬの早過ぎるし、
生きること諦めないでほしい…って思ってしまうくらい早かった。
片付けるもの、多すぎるよ。
何気ない服の一枚一枚、ペンの一本ですら…
机の上のメモ帳の文字、生々しすぎる。
ラインとか、メールのやりとりの記録が、残ってるんだよ。
送ってもぜってー既読になんねーよ。返ってこねーよ。なんなんだよ。
これで、今度は葬式…写真選び…連絡…。
年末の喪中はがきとか想像するだけで重い。
また、葬式しなきゃいけないのかと思うと、もう辛すぎる。
もう少し、病院で安置してほしい。
時間欲しい。
心の余裕がない、仕事してる時はむしろありがたい。
けど、終業後の現実の揺り戻しは大きいし、
仕事帰りのお見舞いを思い出すからもう…。
本人の調子や体調というより、うつ病の心というか精神や頭への侵食力を思い知った。
食欲が減り痩せたけど、何よりネガティヴで弱々しい心・言葉は本当に別人だったもん。
だから、なぜお見舞いに呼ばなかったの?と親戚が言うけど…
会いたくないと言ってたし、呼ばないでと言ったらさ、家族はその希望を尊重するしかない。
本人が気にしてたであろう痩せた姿や院内着を着た姿、それより何より心が変わってたよ。
不安感が強すぎたんだよね、言葉に覇気なんて一切なかった。
いい言い方すれば、きれいな思い出のまま…。
だから、死んだというより、病気に殺された。
うつ、に家族を持って行かれました。
ばーか、家族返せ!!
会いたいよー。
ごめんよ、本当は何が出来たのかな。
何をしたら良かったのかな。
思い切って、逃げてみてもいいのかも
ハフィントンポストより
逃げても変わらないこともある、逃げて変わることもある。
逃げて悪くなることだって、良くなることだってある。
いずれにせよ、大切なことは自分で決めること、なのではないだろうか。
親との距離感に悩んだ僕は、逃げるようにして物理的に距離を置くことで、ほんの少しだけど心が楽になったし、親を俯瞰して見れるようになった。
親に対する、縛られたような(精神的な)心の問題は、お医者さんに相談をすることにした。自分の力で解決できそうにないし、友人は専門家ではないから。
一つのきっかけとして、逃げる・距離を置くことだったと思う。
逃げた後のことを考えると、想像で幾らでも浮かぶ未来(逃げた後)の怖さ(~~と言われそう、〇〇と思われそうナド)がある。
けれど、今日一日を生き抜かなければ、そもそもそんな未来がやって来るか、来ないかどうかさえ分からないし、いずれその問題の相手や物事は、いつか必ず死ぬか終わる。そんな相手に時間の全てを捧げることが、僕は出来ないと気付いた。
この経験を活かして、次に進もうと思う。
距離を置いてみること、決意表明
感謝をしている。感謝の気持ちはある。
これは、嘘じゃない。
けど、改めて親と暮らしたいか…?
感謝とそれと話は別なのだ。
インターネット上の記事
・家族からフェードアウトして、ひとりになってみること
http://m.huffpost.com/jp/entry/17051590
話の冒頭に、親が警察を呼ぶという件がある。
僕は警察と関わることはなかったけれど、似た状況にあったことを思い出した。
一人暮らしを始めて以降、声が聞きたくなくて母親とだけLINEのみで連絡を取っていた。
今までの会話量をLINEで送ってくるがために、一回通知5件以上は当たり前だった。
僕は友達からですら、忙しい時に大量のLINEを送られると開くことが億劫になるし、日によっては返せない時もある。
今では、その時の自分の至らなかった点も分かるが、母からのLINEを1週間開かずためてしまった。
勇気を出して開いたLINEには、
警察を呼び探してもらう。
父親が心配している。
親戚に会ったが近況を伝えられず困った。
これからは、通知を確認し次第すぐに返信を!
などがあった。
もう、こちらは限界だった。
1日じっくり考え(正に熟考して)返信をした。
去年(2016年)10月末のこと。
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受け入れられません。
今まで実家で暮らしてきたこと、そして進学等へのサポート感謝しております。
しかし、今まで私は親の助言に対して、そして小さい頃祖父母に預けられたこともあり、常にYESと答え、聞き分けの良い子でありました。
祖母祖父も大好きです。
しかし、時として親代わりの存在でもあり、私にとってガス抜きではなく、ガスを溜める存在のようになってゆきました。
元気に生きてゆくことを応援してくれる。そんな、気軽な親戚が私にはいません。まるで、監視をされているに感じるのです。
就職・入試・何々大学・親戚の〇〇が、のような話題が重く感じる今…
(結婚が、の話題が本格的に出てくるのも時間の問題で、考えただけでもゾッとします。)
今までは、何があっても笑顔で飲み込んできました。そして、それらに耐えてきました。
特に対人関係においては、仕事や学校などの場面でもそうです。
周りからの頼みや困った出来事へ聞き入れますが、それは、今までの生き方がそうさせてきたからです。
洗脳のように、それが普通なのだと。
関係性を一から作り直して生きてゆく、今の環境・状況の中で気づきました。
そして私は、自分の心が思う所へ進むことが出来ていない、とも気付きました。
そのため、私は親離れをすることにしました。
本当の意味での自立とは?そして、自立と頼ることの境界線を考えております。
私も人間で、調子の良い時があれば悪い時もあります。
人に会いたい時、LINEを見れる時・見たい時・見たくない時、忙しい時・ダラダラしたい時など。
その上で、1週間の内5日6日と忙しく働いております。
仕事を終え、ふとスマートフォンの画面を見ると、メッセージの通知があります。今回は8個ありました。
また、様々なことを聞かれるのかと思うと、苦い気持ちで一杯になります。
私は、もう充分1人で生きていける年です。
一人暮らしが心配?
何かあったのならば、自分で責任を取って生きてゆきます。
これは、私がどこで一人暮らしをしようと同じで、お母さんは、どこにいても心配で心配で聞いてくるのです。
私は、それを縛られていて親離れが出来ていない未熟で、惨めな存在に感じるのです。
これからは、極力早く返事をしますが、私の中で優先順位として1番目にするつもりはございません。
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感情的にならず、極力第三者目線になるように送ったつもりだ。
母に対してというより、何より自分の中に事実として甘えがあることが分かった。
良い加減、察してくれる・分かってくれる。
一人暮らし、忙しいことを想像できるでしょ⁉︎
(それでも)親、に対する感謝は欠けていた。
自分の意識として、被害妄想に近いような感覚を持っていた。自分が1番の被害者…のような。
そして、それらは親の振る舞いでもあり、気付かずに自分も同じようなことをしていた。
インターネット上に公開することは、自分にとってケジメを付ける様な気持ちです。
(ただ、だからと言って親が変わるとは限らない。こちらが変わるしかないのだ。)
そして今、自分で決めて動いたことが気持ち良い。
当初はやってゆけるか本当に不安だった。けど、以外となんとかなる。それが答えだ。
ようやく、僕の人生が始まった様な気がする。
母方の祖母の話
中流家庭で何かに困ったことはなかったし、祖父母は大学生の頃まで特に変わらず健康。
両親は健康そのもので、大学まで行かせてもらったし、ずっと実家暮らしの甘えを許してくれていた。
僕の母方の祖母は、7人兄妹に加えて家族・親戚が医療関係で働き、逞しく戦後を乗り越え・生き抜いてきた。
女が強い家系で姉妹同士は今も仲良く元気だ。
それだけなら、元気な祖母に加えて大叔母たちがおり可愛がってくれて、遠い親戚に会おうと思えば会えるし、僕には何人もの再従兄弟(はとこ)がいる。
今の時代を思うと本当に恵まれていると思う。
僕の母が学生の時に祖父は亡くなり、その後すぐ同居していた姑も後を追うようにして亡くなった。
それから、祖母はずっと一人で暮らしてきた。
そんな祖母の兄妹達に、孫だけでなくひ孫が多くなり、そして誰もが知る学校へ通い、あの有名企業で働く、もしくは親戚の医療関係を継いだり、婚約・結婚・出産…
そんなことが多くなるほどに、年々と僕らしさを愛してくれるのではなく、再従兄弟や従兄弟含む親戚の誰々のようになってね。
が、多くなってきた。
はとこの〇〇さん、が働いてる会社は給料が良いらしいわよ!!
やっぱり、大手の会社は福利厚生が…
彼女・お嫁さんに会える日が楽しみだなー!
忘れられないのが、東日本大地震の直前まで、東京電力なんて良いんじゃない?は、今思うと本当に恐ろしい。
僕は祖父母っこで親に近い存在として見ている。そして、僕は親に対して思春期の反抗期が控えめであったがため、親に対する関わりと同じで、主張や反論が出来ずに抑えてしまっていた。
なので、そんな祖母から何か言われる度、本当は苦しくて苦しくて叫びたかった。
昔のように、元気に生きていることを見ていてほしかった。
なので、例えば自分が良いと思って選んだ進路や専攻、自分なりに考えて選んだこと、そして祖母の価値観・時代の変化までもが、僕がまるで間違ったことをしていて、裏切っているような気持ちが重なっていた。
今、一人暮らしをして親とも祖父母とも少し距離を置くことで、本当に少しずつ考えられるようになってきた。
そんな母方の祖母、身体が弱くなり去年から施設で一人暮らし始めた。
僕が好きだった大きな木がある庭は、今では日が射さない足元の鉢植えはすぐ枯れるコンクリート固めのベランダへ…。
思い出の家と良い香りがした土の上には、分譲され細長い家がひしめいて生えている。
よくある話だが、変わる姿は悲しい。
ペットもいない、車の免許は返還、ゴルフやダンスなど趣味から遠ざかり、家事全般を施設が代行、料理は出たものを食べる。
そして、その姿を母自身が目にし恐らくショックを受けているのだろう。そこは本当に共感する。
けれど、母が祖母に会う度に…
僕が施設に遊びに行くから待っててね、
来月のこの頃には僕が行くからね、と言うのだ。
(実際は自分のタイミングで足を運んでいるから、今となれば母の言葉は関係ないのだけど…。)
(ともかく、こんな時一人暮らしをしていて良かったと思う。悲しいけど自分の予定を優先できるから。)
大好きな祖母のお見舞いに行くのは好きだ。
けど、そうやって求められるのが苦しい。
だけど、あまり言いたくはないが先が長いわけでもないとも思うから、極力顔を出したい。
けど所詮孫なのだ、強く求めないで欲しいと思ってしまう。そして、そんな自分が嫌いになる。
どんな人とも、程々の距離感で付き合えたら良いのに。
父方の祖父母の話
中流家庭で何かに困ったことはなかったし、両親は健康そのもので、大学まで行かせてもらった上で、ずっと実家暮らしの甘えを許してくれた。
父方の祖父母は、僕が学生の時に祖父が亡くなったが、本当に可愛がってくれたと実感しているし、祖母は絵を描くことを趣味として今でも元気に一人で暮らしている。
しかし、自分の人生の岐路に立つ場面からか、
(僕の父)親と同じ会社はどう?
彼女・お嫁さんに会える日が楽しみだなー!
最近だと、結婚結婚結婚は…仕事の進捗は…?
なんとか笑顔を作ることで精一杯だったし。
お父さんは、あなたとお酒を飲む日を楽しみにしているのよー!!
僕は、父親の酒を飲んだ時の振る舞いが嫌いで嫌いで仕方がないのだ、だから不快な気持ちになったことを覚えている。
(親と酒を酌み交わす、気持ちとして以前よりマシになりましたが、まだ出来そうにありません。)
あくまで個人的に、僕は祖父母っこで、親に近い存在そんな感覚を持っている。
それは、幼い頃に母が体調を崩し入院、両家の祖父母宅へ僕は預けられたのだ。
その頃の記憶はあまりないが、布団をバサバサと叩いて家中を走り回って怒られて(笑)
祖父母と一緒に並木道をお散歩したものです。
そんな経験からだろう、今では一人で楽しみを見つけることは得意だし、歩くことが大好きだ。
僕は、親に対して思春期の反抗期は控えめだったと思う。(それは親への恐怖心や、上から抑えられているような感覚から、かな?)
だから、親に対する関わりと同じく祖父母に対しても、主張や反論が出来ずにいつも抑えていたし、何か言われる度に本当は苦しかった。
実家とは違うけどホッとする、そんな風な第2の家・親であり続けてほしい、ずっと思っていたけど言えなかった。
今、一人暮らしをして親とも祖父母とも少し距離を置くことで、本当に少しずつ考えられるようになってきた。
時々出てくる親の性格
例えば、こんなことを聞いたことがある。
普段からネガティブな発言ばかりしていると、起こる出来事もネガティブなことばかりだと。
言霊を深く信じているわけではないし、
「口は災いの元」と、でも言えばいいのか…
例えば、疲れている時や忙しくて余裕がない時、
そんな時に出てくる自分の言動や振る舞いは、いつもの自分と違うだけでなく、自分がなんども困り果てて来た親の姿そのものであり、それらが急に出てきて困惑するのだ。
今、一人暮らしをし親と距離を置いている。
けれど、今も気にしているがために、ある時フと親と同じことをし、単なる「蛙の子は蛙」を越えた嫌な感覚がするのだ。
話は変わるが、本当の意味での自立とは、
親から経済的に独立するだけでなく、心の中からもいい意味で距離を置くことなのではないだろうか。
これをしたら怒られるのではないか…
あれこれ、言われる姿が頭の中に浮かび離れない…
そんな風に、今でも気にしている自分がいる。
まだ、完全なる自立が出来ていないと、気付くと同時にいつもへこむのだ。
やっと一歩
仕事を辞めるって、本社の許可が下りてしまうと、なんて簡単なのだ。
と思ったことは事実。
辞める日が決まれば、心も身体も軽い。
吐き気も日に日に飛んで行くのだ。
むしろ、仕事が楽しくなるのだ。
何より、上司への恐怖心がなくなる。何を言われても怖くない。なぜなら職場から居なくなると自分自身が分かっているからだ。
ただ、相変わらずの実家暮らしで、親との問題は残っているから、完全に解決した訳ではなかったのだけど。
例えば、ミスをする。叱責を受ける。
遅刻する、風邪ひいても休めない。
これら、結局自分自身の問題なのだが、
その度、辞めたいと思ったことは何度もある。
大学院生にでもなるか?と何度考えたことか。
そして、今はネットで調べると簡単に退職後生活ついて書かれた情報が見つかる。
例えば、失業保険や退職後の年金だとか、自治体ホームページよりよっぽど親切に分かりやすく、ブログで書いて下さっている方がいる。
だから、ある程度分かってはいたけど、辞めたら本当にお金が入ってこないし…
何より親へ相談なしに辞めた、にも関わらず実家暮らし。
まぁ、親もあんなにこの仕事辞めていつ転職?
なんて言ってたのに、いざ辞めると手のひらを返す様にあの仕事賛成だったとか言うのでね…。
このままニートになるのか?と不安に思ったのかもしれないが…。とにかく、親の言葉を疑うようになったのは、実はこの時からだ。