自分でも何が何だか分からない

最後に笑おう、でも今から笑えたらいいな。

距離を置いてみること、決意表明

 

感謝をしている。感謝の気持ちはある。

これは、嘘じゃない。

 

けど、改めて親と暮らしたいか…?
感謝とそれと話は別なのだ。

 

 

インターネット上の記事

・家族からフェードアウトして、ひとりになってみること

http://m.huffpost.com/jp/entry/17051590

話の冒頭に、親が警察を呼ぶという件がある。

 

 

僕は警察と関わることはなかったけれど、似た状況にあったことを思い出した。

一人暮らしを始めて以降、声が聞きたくなくて母親とだけLINEのみで連絡を取っていた。

 

今までの会話量をLINEで送ってくるがために、一回通知5件以上は当たり前だった。

僕は友達からですら、忙しい時に大量のLINEを送られると開くことが億劫になるし、日によっては返せない時もある。

 

今では、その時の自分の至らなかった点も分かるが、母からのLINEを1週間開かずためてしまった。

勇気を出して開いたLINEには、

警察を呼び探してもらう。

父親が心配している。

親戚に会ったが近況を伝えられず困った。

これからは、通知を確認し次第すぐに返信を!

 

などがあった。

 

もう、こちらは限界だった。

1日じっくり考え(正に熟考して)返信をした。

 

 

去年(2016年)10月末のこと。

----------------------------------------------------------------受け入れられません。


今まで実家で暮らしてきたこと、そして進学等へのサポート感謝しております。

しかし、今まで私は親の助言に対して、そして小さい頃祖父母に預けられたこともあり、常にYESと答え、聞き分けの良い子でありました。

 

祖母祖父も大好きです。
しかし、時として親代わりの存在でもあり、私にとってガス抜きではなく、ガスを溜める存在のようになってゆきました。
元気に生きてゆくことを応援してくれる。そんな、気軽な親戚が私にはいません。まるで、監視をされているに感じるのです。

 


就職・入試・何々大学・親戚の〇〇が、のような話題が重く感じる今…
(結婚が、の話題が本格的に出てくるのも時間の問題で、考えただけでもゾッとします。)

 

今までは、何があっても笑顔で飲み込んできました。そして、それらに耐えてきました。

特に対人関係においては、仕事や学校などの場面でもそうです。
周りからの頼みや困った出来事へ聞き入れますが、それは、今までの生き方がそうさせてきたからです。
洗脳のように、それが普通なのだと。

 

関係性を一から作り直して生きてゆく、今の環境・状況の中で気づきました。

そして私は、自分の心が思う所へ進むことが出来ていない、とも気付きました。

そのため、私は親離れをすることにしました。

 

本当の意味での自立とは?そして、自立と頼ることの境界線を考えております。

 

私も人間で、調子の良い時があれば悪い時もあります。
人に会いたい時、LINEを見れる時・見たい時・見たくない時、忙しい時・ダラダラしたい時など。

その上で、1週間の内5日6日と忙しく働いております。

 

仕事を終え、ふとスマートフォンの画面を見ると、メッセージの通知があります。今回は8個ありました。

また、様々なことを聞かれるのかと思うと、苦い気持ちで一杯になります。

 

私は、もう充分1人で生きていける年です。

一人暮らしが心配?
何かあったのならば、自分で責任を取って生きてゆきます。

 

これは、私がどこで一人暮らしをしようと同じで、お母さんは、どこにいても心配で心配で聞いてくるのです。


私は、それを縛られていて親離れが出来ていない未熟で、惨めな存在に感じるのです。


これからは、極力早く返事をしますが、私の中で優先順位として1番目にするつもりはございません。

----------------------------------------------------------------

 

 

感情的にならず、極力第三者目線になるように送ったつもりだ。

母に対してというより、何より自分の中に事実として甘えがあることが分かった。

 

良い加減、察してくれる・分かってくれる。

一人暮らし、忙しいことを想像できるでしょ⁉︎

(それでも)親、に対する感謝は欠けていた。

 

自分の意識として、被害妄想に近いような感覚を持っていた。自分が1番の被害者…のような。

 

そして、それらは親の振る舞いでもあり、気付かずに自分も同じようなことをしていた。

 

 

インターネット上に公開することは、自分にとってケジメを付ける様な気持ちです。

(ただ、だからと言って親が変わるとは限らない。こちらが変わるしかないのだ。)

 

そして今、自分で決めて動いたことが気持ち良い。

当初はやってゆけるか本当に不安だった。けど、以外となんとかなる。それが答えだ。

 

ようやく、僕の人生が始まった様な気がする。

母方の祖母の話

中流家庭で何かに困ったことはなかったし、祖父母は大学生の頃まで特に変わらず健康。

両親は健康そのもので、大学まで行かせてもらったし、ずっと実家暮らしの甘えを許してくれていた。

  

僕の母方の祖母は、7人兄妹に加えて家族・親戚が医療関係で働き、逞しく戦後を乗り越え・生き抜いてきた。

女が強い家系で姉妹同士は今も仲良く元気だ。

 

それだけなら、元気な祖母に加えて大叔母たちがおり可愛がってくれて、遠い親戚に会おうと思えば会えるし、僕には何人もの再従兄弟(はとこ)がいる。

今の時代を思うと本当に恵まれていると思う。

 

僕の母が学生の時に祖父は亡くなり、その後すぐ同居していた姑も後を追うようにして亡くなった。
それから、祖母はずっと一人で暮らしてきた。

 

 

そんな祖母の兄妹達に、孫だけでなくひ孫が多くなり、そして誰もが知る学校へ通い、あの有名企業で働く、もしくは親戚の医療関係を継いだり、婚約・結婚・出産…

 

そんなことが多くなるほどに、年々と僕らしさを愛してくれるのではなく、再従兄弟や従兄弟含む親戚の誰々のようになってね。

が、多くなってきた。

 

はとこの〇〇さん、が働いてる会社は給料が良いらしいわよ!!

やっぱり、大手の会社は福利厚生が…

彼女・お嫁さんに会える日が楽しみだなー!

忘れられないのが、東日本大地震の直前まで、東京電力なんて良いんじゃない?は、今思うと本当に恐ろしい。

 

僕は祖父母っこで親に近い存在として見ている。そして、僕は親に対して思春期の反抗期が控えめであったがため、親に対する関わりと同じで、主張や反論が出来ずに抑えてしまっていた。

 

なので、そんな祖母から何か言われる度、本当は苦しくて苦しくて叫びたかった。

昔のように、元気に生きていることを見ていてほしかった。

 

なので、例えば自分が良いと思って選んだ進路や専攻、自分なりに考えて選んだこと、そして祖母の価値観・時代の変化までもが、僕がまるで間違ったことをしていて、裏切っているような気持ちが重なっていた。

 

今、一人暮らしをして親とも祖父母とも少し距離を置くことで、本当に少しずつ考えられるようになってきた。

 

そんな母方の祖母、身体が弱くなり去年から施設で一人暮らし始めた。

僕が好きだった大きな木がある庭は、今では日が射さない足元の鉢植えはすぐ枯れるコンクリート固めのベランダへ…。
思い出の家と良い香りがした土の上には、分譲され細長い家がひしめいて生えている。

 

よくある話だが、変わる姿は悲しい。

ペットもいない、車の免許は返還、ゴルフやダンスなど趣味から遠ざかり、家事全般を施設が代行、料理は出たものを食べる。

 

 

 

そして、その姿を母自身が目にし恐らくショックを受けているのだろう。そこは本当に共感する。

けれど、母が祖母に会う度に…

僕が施設に遊びに行くから待っててね、

来月のこの頃には僕が行くからね、と言うのだ。

(実際は自分のタイミングで足を運んでいるから、今となれば母の言葉は関係ないのだけど…。)

(ともかく、こんな時一人暮らしをしていて良かったと思う。悲しいけど自分の予定を優先できるから。)

 

大好きな祖母のお見舞いに行くのは好きだ。

けど、そうやって求められるのが苦しい。

 

だけど、あまり言いたくはないが先が長いわけでもないとも思うから、極力顔を出したい。

けど所詮孫なのだ、強く求めないで欲しいと思ってしまう。そして、そんな自分が嫌いになる。

 

どんな人とも、程々の距離感で付き合えたら良いのに。

 

父方の祖父母の話

中流家庭で何かに困ったことはなかったし、両親は健康そのもので、大学まで行かせてもらった上で、ずっと実家暮らしの甘えを許してくれた。

父方の祖父母は、僕が学生の時に祖父が亡くなったが、本当に可愛がってくれたと実感しているし、祖母は絵を描くことを趣味として今でも元気に一人で暮らしている。


しかし、自分の人生の岐路に立つ場面からか、

(僕の父)親と同じ会社はどう?
彼女・お嫁さんに会える日が楽しみだなー!

最近だと、結婚結婚結婚は…仕事の進捗は…?

なんとか笑顔を作ることで精一杯だったし。


お父さんは、あなたとお酒を飲む日を楽しみにしているのよー!!

僕は、父親の酒を飲んだ時の振る舞いが嫌いで嫌いで仕方がないのだ、だから不快な気持ちになったことを覚えている。

(親と酒を酌み交わす、気持ちとして以前よりマシになりましたが、まだ出来そうにありません。)

 


あくまで個人的に、僕は祖父母っこで、親に近い存在そんな感覚を持っている。

それは、幼い頃に母が体調を崩し入院、両家の祖父母宅へ僕は預けられたのだ。

その頃の記憶はあまりないが、布団をバサバサと叩いて家中を走り回って怒られて(笑)

祖父母と一緒に並木道をお散歩したものです。

 

そんな経験からだろう、今では一人で楽しみを見つけることは得意だし、歩くことが大好きだ。

 


僕は、親に対して思春期の反抗期は控えめだったと思う。(それは親への恐怖心や、上から抑えられているような感覚から、かな?)


だから、親に対する関わりと同じく祖父母に対しても、主張や反論が出来ずにいつも抑えていたし、何か言われる度に本当は苦しかった。

実家とは違うけどホッとする、そんな風な第2の家・親であり続けてほしい、ずっと思っていたけど言えなかった。


今、一人暮らしをして親とも祖父母とも少し距離を置くことで、本当に少しずつ考えられるようになってきた。

 

時々出てくる親の性格

 

例えば、こんなことを聞いたことがある。

普段からネガティブな発言ばかりしていると、起こる出来事もネガティブなことばかりだと。

 

言霊を深く信じているわけではないし、

「口は災いの元」と、でも言えばいいのか…

例えば、疲れている時や忙しくて余裕がない時、

そんな時に出てくる自分の言動や振る舞いは、いつもの自分と違うだけでなく、自分がなんども困り果てて来た親の姿そのものであり、それらが急に出てきて困惑するのだ。

 

今、一人暮らしをし親と距離を置いている。

けれど、今も気にしているがために、ある時フと親と同じことをし、単なる「蛙の子は蛙」を越えた嫌な感覚がするのだ。

 

話は変わるが、本当の意味での自立とは、

親から経済的に独立するだけでなく、心の中からもいい意味で距離を置くことなのではないだろうか。

 

これをしたら怒られるのではないか…

あれこれ、言われる姿が頭の中に浮かび離れない…

そんな風に、今でも気にしている自分がいる。

まだ、完全なる自立が出来ていないと、気付くと同時にいつもへこむのだ。

 

やっと一歩

仕事を辞めるって、本社の許可が下りてしまうと、なんて簡単なのだ。

と思ったことは事実。

 

辞める日が決まれば、心も身体も軽い。

吐き気も日に日に飛んで行くのだ。

むしろ、仕事が楽しくなるのだ。

何より、上司への恐怖心がなくなる。何を言われても怖くない。なぜなら職場から居なくなると自分自身が分かっているからだ。

 

ただ、相変わらずの実家暮らしで、親との問題は残っているから、完全に解決した訳ではなかったのだけど。

 

 

例えば、ミスをする。叱責を受ける。

遅刻する、風邪ひいても休めない。

これら、結局自分自身の問題なのだが、

その度、辞めたいと思ったことは何度もある。

大学院生にでもなるか?と何度考えたことか。

 

そして、今はネットで調べると簡単に退職後生活ついて書かれた情報が見つかる。

例えば、失業保険や退職後の年金だとか、自治体ホームページよりよっぽど親切に分かりやすく、ブログで書いて下さっている方がいる。

だから、ある程度分かってはいたけど、辞めたら本当にお金が入ってこないし…

何より親へ相談なしに辞めた、にも関わらず実家暮らし。

 

まぁ、親もあんなにこの仕事辞めていつ転職?

なんて言ってたのに、いざ辞めると手のひらを返す様にあの仕事賛成だったとか言うのでね…。

このままニートになるのか?と不安に思ったのかもしれないが…。とにかく、親の言葉を疑うようになったのは、実はこの時からだ。

追い込みすぎた挙句の果てに。

こんなブログ誰が読むか分からないけど、書く、ただ書く。

 

親の顔色を伺ってきた様に、学校ではクラス・職場では先輩・上司など、周りの雰囲気・空気に合わせる様に生きてきた。

けど、本当は高校生の頃から心は感じていた。今の様に一人暮らしをしたかった。

 

親には怖くて言い出せなかったし、仕事を始めてから先輩や上司のミスなども怖くて言い出せなかった。従うばかりでした。

 

 

これは何より、実家から出ないがために、自分の方から家族へ距離を近く保っていた。これも原因だ。

確かにあまりいい給料の仕事ではなかったし、学生の頃も含めて実家から通えることは本当にありがたかった。

 

ただ、それは社会の中で強く生きてゆく努力を捨てることと同じだと、今は思う。

お金のやり繰りだとか、食べ物どうするかとか、貯金は?交際費は?結局お金が主だけど。

友人が結婚するなら、違う支払いが迫られることもあるし…。

親への甘えを捨てると同時に、自分に厳しく逞しく社会を生きなければならないのだ。

 

 

社会人やビジネスマンだなんて言い方をするけれど、自分はそんな存在からは今でも程遠いと感じる。

それは、つい最近まで実家・家族に甘えてきたツケが回ってきたと言えるし、こればかりは認めざるを得ない。

 

そういう意味では、なんとか今一人で生活をしていることで「自分一人でも出来る。」と、少しだけど自信を付けつつ、距離を置きつつ改めて家族のことを考える。

「自分はなんてかわいそうな被害者なのだろう」ではなく、一応親の視点にも立って考えられる。そんな余裕は出てきたかな。

 

 

仕事を始めてから自分の異動もあったし、担当する仕事の幅の広がり、尊敬する上司の異動もあれば、40時間不眠で話し合うなんてブラックな研修もあった。

(・価値観の共有とか言ってたけど、見知らぬ者同士を集めて緊張する中で眠らず何を共有するのか。・突然泣き出す参加者の面々。・個人個人の限界レベルを本社が見極めていたとしか考えられない。)

 

 

特に印象的なのは、合わない人と一緒に仕事をしたことだろう。特に、最後の1年間は今思えばなんてことないが、当時は最悪だった。

 

今の自分は、仕事だけでなく個人的なことも(本当に少しずつだが…)上司や同僚へ明かせるようになった。

僕はこう思う。と言える低レベルな進歩。

(言わざるを得ない、とも言えるけど…)

 

前の自分は言われたことをキチンとやり、本連想はするが何か言われると頭の回路がフリーズするロボットの様だった。

 

例えば、仕事でミスをすると…

言葉遣いが汚い上司だったがために、「そんなんでミスとかお前はクズ」なんて言葉を使う人だった。

ありがたいことに、今までの上司は年齢が近いもしくは、僕の目線に合わせる様に指摘する方と仕事をしていただけに衝撃的で、酒に酔って口汚くなる父を思い出すような…とにかく、父の雰囲気を感じた。

 

 

例えるなら、パワハラだとか、言葉の暴力・人格否定だとか…その人なりの表現だったのだろう。会社人生も長く、他の組織では評判も良く、社内で問題になることはなかった。

 

今の自分ならば、ミスの原因や理由など何か言えるが、あの時の僕は固まったように何も言えなかった。

とにかく言われるままにして、すみませんと謝るが精一杯でその場を何とかやり過ごす。

 

機嫌が悪くなれば、ため息の連発・眉間のシワ寄りすぎ、もともと無口がもっと無口になって、部屋の雰囲気最悪のピリピリ…。

 

一度そういうことがあると、2度目以降どんどん怖くなってゆくし、心の中でその人の印象が最悪になる。(勝手に思い込む・溜め込む僕の悪い所も出るから尚のこと。)

時々ある飲み会が地獄。極力行かないに限るが、それが許されないのが日本。

(なぜ、全員参加なのか今でも理解不能)

(仕事上がりの時間は個人の時間だろうに)

(帰って寝たほうが疲れは取れる!!)

…今では、自分自身の付き合いが悪い一面だと重々承知しております。

 

とにかく、指摘をされたり・ミスを恐れていた当時の自分には、相性は最悪だったし何も気付けなかった。

最初は大したことない・気にしないと思っていたけど、朝起きてからが憂鬱で出勤時は吐き気が止まらない。

だけど、親に心配かけまいと相談出来ないから、仕事のある日は家に帰った後も心も頭もグルグルと苦しい。

 

あの時の自分は変だった。

軽い気持ちで精神科へ行ったなら、よく眠れて・吐き気を止める薬を処方された。

名前は忘れたけど、すごく弱い薬。

僕は、個人的に薬が効く体質だから、一日中眠くて頭がぼんやりする。けど、吐き気の原因のストレスは職場にいると常々感じているから、感覚は麻痺しつつも吐き気は落ち着かない。

 

正直、話をじっくり聞いてくれる人が欲しかったのだが考えが浅かった。思いつきで精神科へ行って、薬をもらったら僕には効きすぎだ。

今ならば、もっと早く本社に相談するだとからお医者さんもいいがカウンセリングに頼るだとか、そもそも、セカンドオピニオンや転職を考えエージェントに相談するとか、友人に話すとか浮かぶけど…。

 

その勇気がなかった。

人から悪く思われる。弱いイメージを持たれる。実家で生活していながら頼りない、そんな頭の中で考えたことに縛られ、相談できなかったし。

 

精神科も今の時代は忙しい、予約を取っても先生と話す時間は15分あったかどうか…。

しかも、本当は会社の上司のことだけでなく、親のことも話したかったが、恥ずかしさと同時に待合室の大量の患者を見たら、診察中にそれも気になる。

 

そして、お医者さんから今の薬が無くなり次第、次回から強い薬を出すと言われる。

結局、自分で自分に囲いを作り過ぎて居場所を無くしたがために、生きづらくなってしまった。

そして、現実から逃げるように仕事を辞めた。

一歩踏み出せた、と信じたい。

 

匿名でブログに書き込む。

とても便利だけど、本当は本当は口に出して言えれば良かった。

現実からインターネットへ逃げている、書き込むだけでは現実は変わらない。

 

 

数少ないが、時々会って飯を食う友人が2人いる。

そんな友人に言おうかと、喉まで言葉が上がってきたこともある。けど、言えなかった。

 

例えば学生の頃、友人に対して親について悩んでるだなんて、弱々しく見られそうで言えなかった。

けど今になって、なぜだか分かる。とにかく、恥ずかしくてとても口には出せなかった。

 

それに、友人の一人は両親が離婚や病気で入院、別の友人はお金がないから奨学金にも頼らず特待生として勉学に励んだり…と、苦労していた。

  

そして、大人になって社会を少し見渡せるようになると、例えばテレビで虐待の問題を目にする機会が増え、もしかしたら僕の友人は自分と違う悩みだけでなく、傷を抱えているかもしれない。

 

世間ではそのように苦しむ人たちがいる中で、自分は中流家庭でお金の問題はなく、両親も祖父母も健在で、自分自身が健康に生きている。

 

 

そうなると、言えば良かったのかもしれないけど、友人とは自分の悩みの次元が軽い気がして、言葉を引っ込めてきた。

 

大人になっているにも関わらず、未だに親について心を引っ掛かけている自分は、なんて未熟なのだろう。

 

本当はやりたい事があったのに、それを捨ててまで親に従ってきた自分の人生ってなんだろう。

 

そして今になってもまだ、親の責任に投げてこうして書き込んでいる自分ってなんだろう。

 

 

せめてもの救いは、インターネットの世界にこうして自分の思いを明かしていることだろうか。

ほんの少しだけど、心が落ち着いた気がするのは事実。少しは変わったのだと信じたい。