自分でも何が何だか分からない

最後に笑おう、でも今から笑えたらいいな。

過干渉だとか。

こんなブログ、誰が読むか分かんないけど、

書く、ただ書く。

 

http://www.nk-koubou.jp/s/2015/04/post-935.html

たまたま見つけた、親と子供の就職活動の話。

 

おそらく、就職活動の機会を経て多数の学生は、自分の学生時代や人生について考える機会が訪れるのではないだろうか。

 

就職活動に際して、親が出てくる…。

それは、僕からすれば今考えると、高校・大学受験の頃からそうだった。

どこ校は…とか、〇〇についての勉強…とか。

確かに、子供じゃ分からないことの方が多いし、そんな時にサポートしてくれるならありがたい。そもそも、お金を払ってくれるのだし。

 

しかし、聞いてもいない親の意見が出てくると、そこで、はいおしまい。

今思っても、辛かった。

そんな親の意見に対して、反対してこなかった。従ってきた弱い自分がいたことも事実で原因だと本当に感じる。

 

あまりに大きすぎる期待と、それに添えない現実とで、いつもいつもすごく苦しかったし。

何か物事を決める時、いまでもそうだけど、これをしたら親がどのように言うだろうか、もしくは周りがどのような反応をするか、考えてしまうのだ。

どうやって、その呪縛を取れば良いのか本当に分からない。もう苦しくて苦しくて。

結局、何だか自由でないような、どこか窮屈な選択ばかりしてる。

周りの反応を気にして、やりたいことが分からない人間の、はい出来上がり。

 

特に、親の時代とで学校やゼミ・研究室と企業との関わりは大きく変化している所が多々ある中で、特にバブルを経ているような方々からすると…

大手企業の子会社?そんなの辞めなさい。とか

俺が書いた、お前の学生時代についてのESで百発百中だ、とかで全落ち。とか

じじばばにあるが、親戚の誰々の会社は良いわよーとか、電力会社は潰れないわよ。とか

東日本大震災東京電力の件…)

 

とにかく、親の出しゃ張りが出れば出るほどに、子供は上手く進めなくなるのだ。

挙げ句の果てには、折角自分の力で勝ち取り決めて、働き出したとしても、その仕事ずっと続けるもんじゃないだろ。

転職は今の時代、普通だぜ。と言うのだ。

(今なら言える、お前に何が分かるんだ!!)

 

それなのに悲しいことに、今まで自分が親からの承認を経て、存在意義を見出していたから、満足して働いているつもりが、上の様なことを言われて、ブレるような弱い心のままなのだ。

 

その仕事、ESも履歴書も面接も全部自分で切り抜けて、全部自分で決めたのに。

まだまだ口を出してくるのだ。

子供の選択権無いんだよな。

 

その親の心配の先に、子供をこどもでしか見れていない・子供離れが出来てない親と、親離れ出来てない子供との共依存がここにある。

 

ある時、気付くんだ。

今の自分、自分の人生生きてないって…

でも、どうやったら良いのか分からないって…

ようやく気付いて、自分の手元にゃ大したもんねーなー、って絶望する。