自分でも何が何だか分からない

最後に笑おう、でも今から笑おう

森の様に。

こんなブログ、誰が読むか分からないけど、書く、ただ書く。

 

親に対して不満を抱えている。

親を思うと、悶々とするのだ。

その原因の全てが親にあるのではなく、選んできた自分にもあると分かっている。

他でもない、自分が原因なのだ。

 

だけど、そうさせてきた(例えて言うと…)

家族の中に流れる文化の様な、昔は気付かずに抗えなかったものに、従ってしまったのだ。

と、言い訳をして慰めている弱い自分。

 

 

生き物が好きで、特に森林浴や雑木林、うっそうと人の手が入ってない森から見通しの効く森まで、何なら土から(上空から見下ろした時の)景色まで、多様性という言葉がピッタリ当てはまる「森」を好きになってた。

今でも好き。

 

 

今、後悔していること。

大学受験に際して、僕が通っていた高校は高3直前にして科学系3科目の中から化学・物理・生物の中から一つ選び、受験対策も兼ねて絞ってゆく。

あの時はまだ、漠然と生物系(森林に生息する生物)の学校に行きたかった。

だから、生物を取りたかった。

けれど、生物では受験校が絞られてしまう、そんな理由で先生と親に従い化学を取る、化学Ⅱの難しいこと…

化学含めえ科学は案外生活と密着していて、今でも役立つこともあるけれど、後悔。

 

そして、いざ受験となると行きたかった森について勉強出来る学部を受けようとしたら…

そんなの、一体何の役に立つのか?と父から一言。18にして、未だ父に怯えてた僕。

進路を変え、当時話題の環境系に進む。

 

最高の友達も出来たし、ゼミの先生も先輩も本当に良い方でした。結果としては、良い方向へ振れたのだと思う。

転学部や転学科も考えたけど、取得単位のハードルが余りに高く諦めました。

単なる学生と言えど、何が起こるか・やりたいことにいつ何処で目覚めるか分からないから、リベラル系の学部や転学部・転学科が容易な学校は良いな、と今改めて思うところ。

 

そして、就職活動の時期になると、親は親で心配なのだろう、あれこれ言ってくる。

その時今みたく、黙れと一言、言えば済むのに言えなかった。思えば、大した反抗期もなくおとなしい子でした。

それは、仕事を始めてからもそうでした。

 

 

何故なら、ずっと親を恐れていたから。

今思うと、何を怯えていたのか分からない程に親に従順で、そして社会人になっても今でもそう、相手の期待や希望を叶えることは得意。

でも、それを自分を後回しにするから、気付くと多くのストレスと締め切りに追われている。

 

 

社会人1年目の終わり、外部の人を招いた研修があって、研修終わりの飲み会で一言「親強いんでしょ、反抗期なかったわよね?でもね、もっと反抗して良いのよ親にも先輩や上司にも…」と。

たった2日の研修で僕を見抜いたその人は凄かったし、衝撃的だった。

本当はもっと話したかったけど、同僚に話を聞かれたくなくて酔ったふりして逃げた。

 

 

親は言う、俺たちはお前の進む人生を応援してる。お前の選択が一番大事だ、と。

俺らのサポートが要らないのなら、そう言ってくれ何も言わない。

 

ただ残念ながら、今までのやり方・習慣はそう簡単には変わらない。なぜ、人の人生にここまで首を突っ込もうとするのか、子離れが出来ていないからこちらには重いのだ。

 

そして、俺たち私たちのことは大丈夫。
我々が決めて、進んでゆくから。

もう正直、離婚だろうがなんだろうが、本当にどうでもいい。早く居なくなってほしい、とさえ思ってしまう。

親のことを疎む自分が情けなく悲しいし、こう言ったことを社会では口に出せない。

けど、これが自分の本音。

 

そして、苛立ちや疎むそんな感情もある中で、それとは反対にそれでも自分の中に愛情があることが、また心の中を難しくする。

一体何がどれが本心なのか。

 

 

美術館に行くことが好きで、風景画特に草木が描かれた絵を観ることが本当に好きだ。
なぜなのか?

それは、森を描いた作品が多くあるからだ、今日気付いた。

森の中は、隠し事や秘め事を覆い隠して、そして全てを飲み込んでくれる包容力がある。

そんな森の様になるのは難しいけど、せめてしっかりと、地面に立って生きてゆきたい。

 

もっと、強くなりたい。

思ったことをただ言えば良いのだ。

そうありたい。